新年明けましておめでとうございます!
昨年中は本ブログにご訪問頂きまして、誠にありがとうございます。
本年も内容をいっそう充実させ、茨城の魅力を伝えられるように努めていきますので、よろしくお願い致します。
今回は大晦日から元旦にかけて滞在した真壁町の老舗旅館について書いてみたいと思います。
大晦日の夜、僕らは筑波山のホテルで一泊して、元旦に初日の出を見る予定を立てていました。
3時すぎに車で水戸を出発したのですが、50号線で桜川市に差し掛かったあたりで思わぬハプニングが。
「宿泊予約しているから、前日に確認のメールが届くはずなのに来ない・・・」
コンビニの駐車場に車を停めて休憩していると、かみさんの様子がどうもおかしいのです。
「予約を確認してみたら?」
トイレから戻ると、かみさんの顔色が真っ青。
「間違って予約しちゃった・・・」
「え?どういうこと・・・」
「12月31のつもりで、1月31日に予約しちゃったのよ・・・」
「なんだって・・・じゃ、今晩どうするんだよ!」
「宿に連絡してみる。」
で、かみさんは大慌てで電話してみたのですが、すでに満室とのこと。
「あちゃ~、こりゃ代案を考えないとダメだわ。ど~する?家に帰る?」
「それはイヤよ。せっかく出発したのに今日は帰りたくない!」
「う~ん。じゃ、違う宿を探さないと・・・どこが空いてるかな?」
うちのかみさんは普段は手ぬかりがない方なのですが、時々こういうポカをやらかすことがあります。まぁ、暮れのうちはいろいろ忙しかったので、つい魔が差してしまったのでしょう。(笑)僕も時々うっかりやらかすことがあり、それが原因で気まずい空気が流れることもありますが(笑)、こういう場合に腹を立てず、すぐ解決策を探して軌道修正するのが「夫婦円満」の秘訣ですよね?(笑)
とても重要なことだと困りますが、旅行の予定が多少変わるくらいなら「サプライズ」と思えば面白いですし、その時々の思いつきと行った先での展開にまかせるのがうちのやり方なので、まぁ、多少のハプニングは「結婚生活のスパイス」くらいに思ったほうが楽しいです。(笑)
というわけで、違う宿を探すことにしたのですが、僕の脳裏に浮かんだのは真壁の宿。
伊勢屋旅館は空いてるかもしれないけど、この間泊まったばかりだし、ほかになかったかな・・・
「そういえば、真壁の山の麓に古い旅館があったはず。なんて言ったっけ・・・桜が付く名前だったと思ったけど・・・」
「ちょっと検索してみようか。真壁町 旅館 桜・・・あ、これじゃない?」
「桜井館、これだよ!」
「ちょっと電話してみる・・・もしもし、えぇ、そうですか・・・えぇ・・・」
「どうよ?ダメだって?」
「空いてるって!当日でもOKだって!食事も2食つくみたいよ!」
「えぇっ、本当?ラッキーだね!ここから近いし、そこにしよう!」
というわけで、予約を済ませて宿に向かったのですが、岩瀬町を抜けて真壁町に入る頃には太陽は地平線の向こうで、今まさに別れを告げようとしています。
「今年最後の日没だぁ!ここで見るときれいでドラマティックねぇ。」
「最近はなんだか真壁に縁があるよね。まさかまた真壁で一泊することになるとは思わなかったなぁ。」
「そうね。森コミいちでちとせむすびを食べてから真壁に来る機会が増えたよね。」
「五所駒瀧神社の神様が呼んでいるのかも・・・初詣は五所神社にしようよ!」
「そうね!」
というわけで、県道41号線を進み、「古城」の手前の交差点で左折して田園の中の道を行くと、ほどなく山の麓の桜井館に到着。
なぜ僕がこの宿を覚えていたのかというと、
真壁の御影石を使った鉱泉のお風呂に入れる
地鶏や川魚、地野菜中心の田舎料理が美味しい
天然イノシシ肉のシシ鍋が食べられる
かつて芥川龍之介や室生犀星などの文人が泊まった
という話をどこかで読んだからです。
古い旅館なのでそれなりに従業員がいるのかと思ったら、ご主人と女将さんと息子さんの3人でやっているそうです。
館内は後でご紹介するとして、食事前に一風呂浴びてきましょう。
「お風呂の撮影はお断り」とのことだったので、御影石の浴槽はこちらのHPの写真をご覧ください。
今回は宿泊客が僕らともう一組だけだったので、通常なら男女別なのが「家族風呂」として貸し切りで使わせてもらえましたが、大理石の浴槽は本当に豪華で広々!
お湯は筑波山系の御影石の岩盤によって濾過された源泉を沸かしているそうですが、循環式ではなく掛け流し。浴槽に浸かると体がポカポカと温まってして良い感じでした。
「う~ん、いろいろあったけど、ここにして良かったかも!」かみさんも喜んでいます。(笑)
湯上がりに涼んでいると、外には真壁の風景が広がっていて、遠くまでよく見えます。
さて、待望の夕食は・・・
ここの鶏料理は、半世紀以上の歴史がある名物なのだそうですが、個人的に期待していたのは、もうひとつの名物料理である猪鍋。(笑)
猪鍋は薄く切った猪の肉を牡丹の花に似せて皿の上に盛りつける事から「牡丹鍋」とも呼ばれますが、ここの猪鍋の肉は地元の猟師からわけてもらった天然イノシシ肉のため、柔らかくて臭みがなく、とても美味しいそうです。
そう聞くと食べてみたくなりますが、料理長である息子さんによれば、前日で完売してしまい、
猪肉が入ってきていないため、本日は豚鍋とのこと。
猪鍋が食べられなかったのは残念ですが、今回は泊まれただけでもラッキーですし、
山里らしい野菜中心のメニューがとても良かったんです!
湯葉刺し
地元の野菜や山菜を使った煮込み料理
ニジマスの焼き物
天ぷら
なます。これが絶品!
う~む、どれもびっくりするような美味さ!料理の良さは評判通り。
隣で食事をしていた埼玉の夫婦も褒め称えていましたが、全部息子さんひとりでつくっているそうですが、大した腕前だと思います。
それと、量的に結構ボリュームがありますが、どれも薄味仕立てなので胃もたれがなく、最後まで美味しくいただけたのも良かったです。
これでだいたい500kcalくらいなんだそうです。僕らはビールの他に日本酒2合、さらに自家製梅酒も飲んだのでもっと高くなったでしょうが、それにしても低カロリーですよね。
梅酒はブランデーで漬けたもので、これまた素晴らしい出来具合。
これで終わるかと思っていたら・・・大晦日ということで、特別にお蕎麦が振る舞われました。
いやぁ~真壁の宿で年越し蕎麦をいただけるとは思っていなかったので、大満足!良い年を迎えられそうです。
お吸い物も美味でした。
そして最後はデザート。ごちそうさまでした!
部屋に帰ってテレビをつけると、すでに紅白が始まっています。聞いた話では今回の視聴率は・・・だったそうですが、わかる気がします。僕らは三山ひろしの「お岩木山」あたりから見始めたのですが、再結成して初出場したレベッカには往年のオーラが感じられず、印象に残ったのはAKB48、Superfly、石川さゆり、X JAPAN、美輪明宏くらいでした。後半に行くほど・・・で、正直がっかりしましたが、そんな中でとびきり目立っていたのは茨城が誇る非公認ゆるキャラ、ねばーるくん!
出演者より目立ってますよね。(笑)
行く年来る年の鐘の音を聴きながら床につきました。多少酔っているのでブレはご勘弁ください!
翌朝目が覚め、外を眺めるとすでに日が昇っています。真壁からだと日の出は山越しになるんですね。
先日聞いた五所駒瀧神社の宮司さんの話を思い出します。つまり、こちら側の山の斜面にある棚田に日が当たり始める時刻は遅く、午前中の温度の上昇がゆっくりなので、米作りに適しているという話です。
おはようございますじゃなかった、新年明けましておめでとうございます!
朝食はもちろん元旦メニュー!
どれも丁寧につくられていて、しみじみとした美味しさ!
お雑煮も出たのが嬉しかったです!
昨夜は酔っ払っていて気が付かなかったのですが、食堂にはいろいろと興味深いものが飾られています。ご主人は射撃場(現在の県営射撃場)を開設したり、自転車大会の誘致に尽力したり、長年スポーツによる青少年の健全な育成に貢献してきたみたいです。これは現役の火縄銃。
ご主人は桜川市の射撃連盟の会長なんだそうです。
息子さんの方も後継者がなく途絶えようとしていた、真壁町の紺屋さんの藍染の伝統的手法「天然藍灰汁発酵建て」を受け継ごうと、「真壁藍工房」に参加して真壁伝承館や茨城県庁で作品の展示会を行っているようですし、真壁には多才で文化的な人が多いんですね!
では、館内をご紹介しましょう。これは正面玄関を入ったところ。夕食と朝食をいただいた食堂は右側にあり、廊下をはさんで左が受付・ロビーになっています。
1階廊下を奥に進むと客室のある2階へ通じる階段があります。
部屋はベッドの付いた洋室もあるようですが、僕らが泊まったのは和室。
広々とした洗面台とクローゼットが付いていて、
中も10畳くらいあって広々としています。
なかなか良い感じでしょう?
窓の外には真壁の田園風景と
裏山の伝正寺周辺の風景が広がっています。
天気が良いのでちょっと近くを散歩してみましょう。
ここは山裾なので、季節によってはキジやイタチ、イノシシなどの動物が現れるそうです。
空気がおいしい!
空には鷹が・・・ん・・・あれは?・・・パラグライダー!
新春の初飛行ですね!この辺りではパラグライダーのワールドカップも開かれるとか。
ここで飛んだら、さぞかし気分がいいでしょうね!
チェックアウトは10:00なので時間がありますが、いったん宿に戻りましょう。帰る前にしておきたいことがあるんですよ。(笑)
それは、ご主人にお話を伺うことです。ということで、桜井館のご主人、多田信一さんに直撃インタビュー!
帰る前にぜひ、お話を伺えればと思いまして。
そうですか、どうぞ、どうぞ。
今回ここに初めて泊まったのですが、何も知らずに来たもので。
そうですか。うちの多田家はもともと愛知県の方の出らしいんです。江戸時代の真壁に小川容斎(小川教)という人がいて、徳川家の漢学者だった人ですが、真壁で塾を開いて漢学を教えていたそうです。当時は学校と言っても私塾で、うちの先祖は彼の娘を嫁にもらい、一緒に真壁で漢学を教えていたそうです。
そうなんですか!
ええ。うちは漢学者の家系だったから厳しくて、私も子供の頃は祖母から朝食の前に「漢学の習い」というのをやらされました。(笑)
へぇ~っ。学者の家系なんですね!
ええ。ここは幕末の慶応年間(1865~1868)に、裏の伝正寺のお坊さんたちが風呂にはいるために山の水(鉱泉)を引いて沸かしたのが始まりで、最初は風呂だけだったそうです。
最初は旅館じゃなかったんですか!
そうです。明治時代に入って茨城県初の公衆浴場として認められたそうですが、旅館を始めたのは4代前の頃とか・・・。
なるほど。じゃ、文人たちはいつ頃泊まりに来たんですか?
それは大正のはじめ、大正6年頃と親父から聞いています。当時の真壁や結城には詩人のグループがあり、そのつながりで芥川龍之介や室生犀星、玉川一郎などが泊まりにきたんです。
そうなんですか!もうちょっと詳しく教えていただけますか。
ええ。真壁に泉浩郎(泉栄一)という詩人がいて、うちの親戚に当たる人なのですが、結城にいた多田不二という人と親交があったんです。
(多田不二(1893-1968):茨城県結城生まれ、愛媛県松山没。室生犀星、萩原朔太郎に兄事し、詩誌「卓上噴水」や「感情」などで活躍、詩誌「帆船」を創刊主宰。)
これは多田さんと親交のあった著名人からの書簡を収めた本です。(多田不二来簡集 紅書房)
すごい名前が並んでいますね・・・
ええ。多田さんの家系は元々医者だったみたいで、生家は今も「結城ガーデン」という割烹旅館を結城で営んでいますが、金沢四高から東京帝大に進み、東大で芥川龍之介や室生犀星と同級となり、同人誌の同人だったんですな。確か「感情」だったかな。
(感情:室生犀星が萩原朔太郎とともに発行した文芸同人誌。1916年~1919年。)
そういうつながりで、当時の作家や詩人たちがうちに泊まりに来るようになったそうです。当時の真壁には芸者の置屋なんかもあったから、みんなでうちに泊まりこんで、酒を呑んだり、風呂に浸かったり、詩を書いたり、親交を深めたんでしょう。
なるほど!それがあの古い建物ですか。
そうです。
文人たちが泊まった部屋とか見ることはできませんか?
残念ながら、今は無理です。この辺は硬い岩盤だから明治の古い建物でも地震で壊れずに済みましたが、中がぐちゃぐちゃになっていて入れません。
そうですか。とても残念ですね・・・
(ご主人の説明によれば、現在の旅館の建物は新館として旧館の前に建てていたものの、2011年の震災で全面改装することになり、2013年にリニューアルオープンしたのだとか。旧館はいろいろあって結局、文化財登録しなかったのだそうです。非常にもったいない話だと思いましたが、時々手伝いに来てくれる方がいるとしても、親子3人で管理するのは到底無理だろうと思いました。)
あと、玄関の横にあった石版についてお伺いしたいのですが、あれはイサムノグチのサインですよね?
そうです。
イサムノグチがここに泊まったんですね!その話を聞かせていただけますか。
(イサムノグチ:日本名野口勇。1904-1988。日本の詩人野口米次郎を父親に、アメリカの作家レオニー・ギルモアを母親に持ち、アメリカ合衆国ロサンゼルスで生まれた彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家、作庭家、舞台芸術家。戦前戦後を通じて日本をたびたび訪れ、北大路魯山人や建築家の丹下健三などとも親交があり、日本の各地に作品を残した。李香蘭こと山口淑子とは一時期結婚していた。)
彼は彫刻用の石を探すために真壁に来たんです。1ヶ月くらいいたんじゃなかったかな。
ええ。
私は昭和4年(1929年)に生まれたのですが、10人兄弟の末っ子でした。兄貴は外交官になって後にリビア大使を務めたのですが、私ははじめから旅館を継ぐ気はなくて東京の大学へ進学すると、戦争が始まって学徒動員で軍需工場で飛行機の電気系統の整備をやらされました。
そうなんですか!
ええ。そうしているうちに終戦を迎え、戦後間もないころは横浜の米軍基地の近くで船の積荷を下ろすアルバイトをしながら大学に通いました。当時は貧しい学生がほとんどでしたから、そうやって働きながら勉強するしかなかったんですが、アルバイトと言っても要は「闇物資の横流し」です。(笑)本当はいけないことなんですが、当時は食料品や生活必需品などが圧倒的に不足していて、配給品だけでは到底やっていけませんでしたから、公然と行われていたんです。
話に聞いたり映画で観たことがありますよ。
ええ。当時の横浜は米軍に接収されて日本人は出入りできなかったのですが、PX(Post Exchangeの略。米軍の飲食物や日用品などを売る店)に運ぶ物資を乗せた船が横浜港に着くと、積み荷を降ろすための人夫が必要になりますから、港湾労働者だけでなく私らみたいな学生アルバイトもかき集められたんです。
ええ。
いやぁ、当時の横浜は怖かったですよ。腹にドスを隠しているようなのがゴロゴロしていましたから。でも港を取り仕切っている大親分みたいなのがいて、この人が本当にすごかったんです。誰かが食い詰めたり困っていると、助けてやったり面倒を見ていたから、誰も逆らわなかったし、本当にうまく港を仕切っていたんです。で、物資の横流しというのは、あらかじめどれを流すかだいたい決まっているんです。
そうなんですか!
ええ。港に着いた船から荷を下ろす時に、クレーンで吊り上げるわけですが、下ろす時にわざと落とすんですよ。20メートルくらいの高さから甲板の上に落とすもんだから、おちおちしていたら怪我どころじゃ済みませんが(笑)、落ちた荷は食料品やら雑貨なんかがぐちゃぐちゃになってしまい、こりゃ到底PXには持っていけない、というということになるわけです。(笑)
なるほど!
で、売り物にならなくなったものを我々が引き取るわけですが、食料品が不足して飢えている人が多かったから、飛ぶように売れましたね。サラリーマンとか公務員の給料以上に稼げましたから、中にはアメリカ車を買えるくらいの年収を稼ぐ人もいましたよ。
そうなんですか!
私らみたいな学生は生活費を稼ぐためのアルバイトに忙しかったから、ロクに授業に出ませんでしたが、学校の方もわかっていて「論文」の提出で単位がもらえましたし、教授に闇物資を贈って少しお目こぼししてもらったりしてね。(笑)
そうなんですか!良い時代ですね!
ええ。向こうも食べるものがなくて困っていたから喜んでくれたんです。(笑)横浜のレストランにも食料品を横流ししていたから、コックが裏口からそっと中に入れてくれて、内緒でごちそうしてくれたことなんかもありましたね。(笑)
へぇ~、面白いですね!
私が担当を任されたところは周りに日本人がおらず外人ばかりだったんです。だからはじめは言葉がわからなくて困りましたが、それだと仕事にならないので、必至で外国語を勉強しました。
授業はサボっても実地で学んだんですね。
ええ。おかげで英語とスペイン語を話せるようになりましてね。卒業後にスカンジナビア航空の試験を受けたらパスしちゃったんですよ。(笑)で、パーサー(利用客にサービスをする乗務員のチーフとして、乗務員をリードし、指導指示を与えるポジションにある人)として働いていたんです。
ええっ、そうなんですか!
ええ。私は飛行機の電気関係の知識があり、英語とスペイン語ができましたから、それで合格になったんでしょう。当時の飛行機は電気系統のトラブルが多かったんです。おかげでヨーロッパ便でコペンハーゲンやマドリッドなんかにはずいぶん行きましたし、バクダットなんかにも行きましたね。
すごいですね!
しばらくスカンジナビア航空で働いていたんですが、そうしているうちに親父が身体を悪くしたので、真壁に帰ってきたんです。帰ってきてしばらく経ってからだったかな、イサムノグチが真壁に来たのは。1960年ですね。彫刻に使う御影石を探しに来て、うちにも10日間ほど滞在したんです。
私は英語が話せたので、「おぉ、お前英語が話せるのか!」って信用してくれましてね。彼は普段はサインしないそうですが、私が頼んだら石に墨でササッと書いてくれたんです。
なるほど。
これは墨が薄くなったので、後で彫ってもらったんですが、5年前にニューヨークのイサムノグチ財団の研究員の方が真壁にいらしたので、コピーをつくって財団にも送りました。
(当時の石工はみな亡くなってしまったので、今では多田さんが当時を知る貴重な人物となっているようです。)
話の面白さに引きこまれ、気が付くとチェックアウト時刻間近となっていて、かみさんが大慌て。(笑)急いで荷物をまとめると、多田さんが見送りに。
今日はいろいろとお話を聞かせていただき、ありがとうございました。楽しかったです!
いやぁ、こちらこそ。真壁に来る際にはいつでもお立ち寄りください。他にもいろいろ面白い話がありますから!
文人たちが泊まった部屋を見られなかったのは残念でしたが、今回も様々な発見があり、とても楽しいひとときを過ごすことができました。
それにしても真壁というところは、興味深い人がいて、興味深い話が聞ける土地ですよね!
文人たちやイサムノグチもかつてこの風景を眺めたんでしょうね。
五所駒瀧神社に初詣に行く途中、車を停めて空を見上げていると、こんなメッセージが。「仁」・・・達筆ですね!
伝正寺温泉旅館 桜井館への行き方・アクセス
真壁の雛まつりの時期は臨時バスが出ますが、それ以外の時期は車かバイク以外に交通手段がありませんが、ルートはいたって簡単。
筑波方面や岩瀬方面から来る場合は県道41号線で、セブンイレブン古城店とエネオス(臼井もき商店 真壁東給油所)の間の交差点を山に向かって曲がります。交差点にはこんな看板が立っています。
山に向かってまっすぐ進みます。
右手に「真壁城跡公園」を臨みながら進んでいくと、
桜川市立まかべ幼稚園の手前で右に緩やかにカーブする道を、そのまま進んでいくとやがて右手に看板が見えてきます。
伝正寺温泉 桜井館
茨城県桜川市真壁町桜井1074-26 0296-55-2131