桜川市真壁町 五所駒瀧神社の御神米づくりとアヒル農法

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僕らが真壁の町に興味を持つきっかけとなったのは、おむすびでした。

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上野沼やすらぎの里で開かれた「森コミいち」に出店していた、真壁の「桜川本物づくり委員会」の屋台で売られていた「ちとせむすび」です。

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塩で握っただけで中には何も入っていないシンプルなおみすびでしたが、あまりにも美味しかったので、「五所駒瀧神社の御神米」について知りたくなったというわけです。(笑)

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僕らが五所駒瀧神社を訪れたのは12月のはじめの頃。
宿をとった伊勢屋旅館から郊外へ車を走らせると、雲ひとつない冬の青空。あの山の麓に神社はあるようです。

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五所駒瀧神社 〒300-4406 茨城県桜川市真壁町山尾503

〒300-4406 茨城県桜川市真壁町山尾503

 

神社へ至る道は舗装されていて、山沿いに緩やかなカーブを描き、緑がとても美しい。

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入り口が見えて来ました!

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ところで「御神米」って何なんでしょうね。

調べてみると、「神米」は神に供えるために水で洗い清めた白米のことで、「洗米」とか「饌米(せんまい)」とも呼ばれるそうです。

ちなみに、神社と米作りには深いつながりがあるんですよ。神話の世界をちょっとのぞいてみましょう!

712年に著された日本最古の歴史書「古事記」には稲の起源がこう描かれています。

高天原を混乱に陥れた罪によって追放されたスサノオは地上へ向かう途中、食物の女神であるオオゲツヒメノカミに食べ物を求めた。

オオゲツヒメは、鼻や口、尻などから食べ物を取り出して調理して差し出すが、「汚らわしい」と怒ったスサノオによって殺されてしまう。

すると、殺されたオオゲツヒメの頭から蚕、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆、ふたつの目から稲の種が生まれ、それをカムムスヒノミコトが集め、5穀の種として地上に授けた。

女神の身体から稲の種が誕生したというのはユニークな話ですが、「日本書紀」(720年)にも似たような話が載っています。

月の神ツクヨミノミコトが地上界の食物神ウケモチノカミを殺すと、その身体から5穀や牛馬、蚕が誕生し、アマテラスは蚕を飼いはじめ、粟、稗、麦、豆を陸田種子、稲を水田種子として植え、秋の豊作を喜んだ。

古代から米を含む穀物は「命の糧」であり、国の基盤となる大切な作物だったため、豊かな国の実現と民の幸福を実現するために、神へ豊作への祈りが捧げられるようになり、そこから祭や年間行事、伝統芸能の多くが誕生したようですが、なるほど!ですよね。

例えば、正月は年神を迎えて新年を祝い、健康や幸福を祈る行事ですが、「年神」はもともと稲を実らせる田の神であるため、正月になると、家のあちこちに「しめ縄」や「鏡餅」といった稲にまつわるものが飾られます。

お花見も田植えが本格的に始まる前に、山から里に「田の神」を迎え、桜の樹の下で人間と一緒に宴を催し、神をもてなすという意味があり、桜の語源は「稲(サ)の神が座る場所(クラ)」という説があります。

宮中祭祀も稲作と深いつながりがあり、毎年11月23日に皇居で行われる「新嘗祭」は、天皇が稲の収穫に感謝して翌年の豊作を祈る祭で、その年に採れた米などの穀物やお酒を神に供え、その後供えたものを神と一緒に食すというもの。

日本人の生活様式や文化とお米が密接に関係しているのがわかって面白いですよね!

さて、神社には「神田」と呼ばれる領田があり、そこで米作りや祭祀が伝統的に行われてきました。

伊勢神宮の神田で行われる「神田御田植初式」は有名ですが、茨城県内でも鹿島神宮や水戸の常磐神社の「御田植祭」などがよく知られています。

さて、今回僕らが訪れた「五所駒瀧神社」では、境内と山の間に広がる棚田で御神米をつくっているそうです。

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神田での御神米つくりの話に入る前に、この神社の起源について軽く触れておきましょう。

訪れてみるまでよくわかっていなかったのですが、五所駒瀧神社は由緒のある、とても立派な神社なんです。

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社伝によれば、創建は1014年とか1171年頃とされているようですが、真壁の初代城主真壁長幹の誕生にまつわる伝説と関係があるそうです。

話をわかりやすくするために、真壁氏の家系図を載せておきますが、真壁長幹の直系の先祖は平家の流れを汲む多気氏。

平国香

平繁盛

多気維幹

多気重幹(繁幹)

多気致幹(むねもと)

真壁長幹

長幹の誕生にまつわる伝説とは・・・

[note]保元3年(1156年~1158年)9月9日の四ッ頃(現在の22時頃)、寝所で休んでいた多気致幹の奥方は急に驚いて目を覚ますと、門の南のひさしに向かって走り出て、声高く怒った感じで何者かに向かって問答し始めた。

それに気づいた夫の致幹が「いかがいたした」と尋ねると、奥方は我に返り、起こったことの始終をこう話した。

80歳くらいの老人と70歳くらいの老母が夢のなかに現れ「汝が腹を備えよ」と言ったので、取り押さえようとすると、老婆は高いところに飛び上がり、「驚くことはない、この老人は筑波というもの、私は加波という祖母なり」と言い、身体から金色の光を放つと飛び上がって姿を消した。

翌日の夜、今度は致幹の夢のなかにもその老婆が現れてこう言った。

「このごろは、天下無法にして、諸人邪な心でおごる者、猛悪の者多く、神仏の社領を押領し、盗賊は所々に充満している。神社に参詣するものも稀となる。汝、筑波加波の両山の妨を治め量れ。」

致幹が不思議に思っていると、奥方は心身ともに不快となって床につくこととなり、各地の高僧が招かれてさまざまな祈願祈祷などが行われるも快方に向かわず、真壁に住む陰陽師の「懐妊の兆候である」という助言を聞き信じて祈祷を行うと快方に向かった。

やがて奥方は平治元年(1159年)6月22日、玉のような男子を出産し、城内一族は喜びに包まれ、その子は「長寿丸」と名付けられたが、誕生してから7日目の夜、突如として消え去ってしまったため、城内は大騒ぎとなり、致幹は国中にお触れを出し、家臣に命じて八方手を尽くして探させたが、消息はつかめなかった。

その頃、常陸国府(現在の石岡)に住む大関丹波の娘、菊が物狂いとなり、「われには筑波加波の両山の山神がつかせ給う。このたび誕生の長寿丸は筑波加波の両山の間にあり、見よ、見よ」などと口走りながら町中を歩き回って、親や周囲の人を驚かせていた。

その話が城へ伝わると、致幹は家臣に命じて長寿丸の行方を追って、山々を訪ね歩くこととなったが、きこりが山の中で不思議なものを見たと言う。

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「山の中に金襴の衣に包まれた赤子が捨てられていて、周りにカラスが集まって食べようとしていたが、2頭の鹿がカラスを追い払って守っていた・・・」

それを聞いた阿闍梨(僧侶)が山中に入り、赤子のそばに近づき、加持祈祷をすると、2頭の鹿は立ち去り、赤子は長寿丸であることが判明したため、赤子を抱き上げて湯につけ、乳母を手配し、その山の麓に仮屋を建て、近くの人達に守護させた。

その山の北の麓には滝があり、長寿丸が見つかった時、滝の中から2頭の馬が現れ、長寿丸が休んでいた仮屋の前に立った。

仮屋と滝の間には広場があったが、2頭の馬が駆け巡ると足跡のついたところに一夜のうちに大木が生い茂ったため、致幹は滝の上に宮社を建てさせ、これを「駒下瀧(こまがたき)の明神」と命名し、真壁の惣社とした・・・

(参考:真壁町の祇園祭―町民の熱と魂の三百六十年 (1979年) (筑波書林ふるさと文庫―茨城)
桜井崇・鈴木常光著 第2章「駒瀧明神」)
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これが五所駒瀧神社の起源にまつわる伝説ですが、長寿丸が湯につかった山は「湯袋山」と呼ばれ、現在でも名前が残っており、

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一夜のうちに大木が生い茂ったという地には宮社が建てられ、「夜一生木(よひといぎ)明神」と名付けられ、現在では「一夜木」と呼ばれているそうです。

これはその時の蹄の跡のようです。

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参道沿いには興味深いものが並んでいます。

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これは恐らく真壁の石を使った地元の方の作品でしょうね。

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これは昭和11年(1936年)生まれの氏子の方々が還暦祭の年に奉納されたものだそうです。

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この時は紅葉がちょうど盛りで、しばし見入ってしまいました。(笑)

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参道にはひんやりとした空気が流れ、歩いていると気持ちが静まってきます。

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神社ってこういうものですよね。

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ここは境内には小川が流れているんです。良いなぁ。すっかり気に入ってしまいました!

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おゃ、こんなものも!この辺もイノシシが出るんですね。ここは面白い神社ですね!

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ここで御茶会が開かれるのでしょうか。小川のせせらぎを聴きながらお茶もいいですよね。

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お隣の建物が社務所なのかな。

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やっぱりここは普通の神社とは雰囲気が違いますね。

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なんていうか、生活に密着した感じがして、親しみが持てます。どんな宮司さんなんでしょうね。

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こんにちは~。

は~い。

突然おじゃまして申し訳ございません。「ちとせむすび」のお米をこちらでつくっていらっしゃると聞いたので、ちょっとお話をうかがえればと思いまして・・・

あぁ、そうですか、どうぞ、どうぞ。

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どうも突然すみません。水戸から来たのですが、ここはかなり由緒のある神社なんですね。

あぁ水戸ですか。地鎮祭に呼ばれてよく行くんですよ。ここは古いですよ。2年前に「千年祭」やりましたから。

そうですか!千年祭見てみたかったですね。

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境内を歩いていて、環境保護を訴えている看板を見たのですが・・・

あぁ、あれは「千年の森づくり」という、うちがやっている会です。

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昔は山には神様がいると信じていたから、里の人たちは山をきれいにしていたわけですが、今はそう思う人が少なくなったので、放ったらかされて荒れ放題の山が増えているわけです。だから、みんなで山に入って、自然に触れ、森を再生させるために活動しています。

(やっぱり宮司はそういう方なんですね。)

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これ、よろしければどうぞ。

あ、どうもいただきます。この辺は水が良いんですね。お茶がとても美味しいです。この芋けんぴも美味しい!

ここの水は山から湧き出てくるから、町中の水とは違うでしょうね。芋もここで採れたものです。

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けんちん汁も野菜の味が違う!どれもしっかりと野菜の味がしますよ。

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神社が「環境保護」を訴えても、行動していなければ説得力がありませんから、身近なところからできることを実践しているんです。例えば、昔の人はうどんの茹で汁を撒けば雑草が生えないのを知っていましたが、うちの「千年の森づくり」も米作りも自然との共生を実践する一環なんですよ。

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そうなんですか!来る途中、棚田があったのですが、あれは全部神社の田んぼなんですか?

そうです。近くで農業をやめてしまった人の田んぼも借りて米をつくっています。

借りてまで!他の神社でも御神米をつくっているところはありますが、祭儀用という感じで、ここまで本格的につくっているところは見たことないです。これだけ面積があったら、機械は使うんですか?

私は子供の頃から田んぼに入っています。もちろん、田起こしにトラクター、稲刈りにコンバインは使いますが、全体の三分の一は皆で田植えして、実ったら刈り取っておだがけして天日で干します。

へぇ~っ、そうなんですか!手作業で田植えして、天日で干すんですね!

そうです。(笑)機械を使えば早いですが、うちの田んぼは棚田なので、中には機械に合わないものもあります。それと手で植えたほうが米作りの楽しさを味わえますからね!足を泥に突っ込んで田植えするのは気持ちが良いんですよ。多少身体がキツくても自分で米を作っているという充実感がありますし、美味しい米ができます。

なるほど!じゃ、化学肥料とか農薬とかは・・・

使わないです。そういうものを使うとお金がかかりますし、うちは使わなくても米をつくれますから。

そうなんですか。じゃ、ここはいわゆる「無農薬農法」とか「有機農業」なんですね。

というか、うちのは完全に昔ながらの米作りです。(笑)

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そうなんですか!「米作り」というと、機械を使って、化学肥料と農薬を撒いてというイメージですが、ここは違うんですね!

そうです。昔ながらの米作りです。美味しい米をつくる上で重要なのは、水と温度差なんですよ。この辺は山の花崗岩から湧きでた水が谷川に流れていますから、天然のミネラル成分が豊富に含まれていて、化学肥料などは必要ありません。それと、この辺りは昼と夜の温度差があり、山の向こうの地域と比べても午前中の気温がゆっくり上昇するんです。それが米作りに非常に適しているんです。

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なるほど。水のことはわかったのですが、温度はどういう関係があるんですか?

稲は昼間は日光を浴びて光合成をしてデンプンをつくります。米の旨味を左右するのはデンプンですが、その一部は稲の成長にも使われます。夜の気温が低いと、消費されるデンプンが少なくなるので、米の一粒一粒に蓄えられるデンプンが多くなり、美味しくなるというわけです。

なるほど!だから米どころは寒いところが多いんですね。常陸太田とか笠間の米が美味しいのは、そういうわけなんですね!

そうです、そうです!でも、最近は温暖化が稲の生育にも影響していますね。稲は生き物だから、環境の変化に敏感に反応します。

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なるほど!「ちとせむすび」のお米の美味しさの秘密はそこにあったのですね!ところで「古代米」っていうのは、どんなお米なんですか?

うちの「古代米」は四国の神社から分けてもらったものです。古代米と言っても、ジャポニカ米もあれば、いろんな種類があるんですよ。うちのは、5粒くらいずついただいた種を田んぼに撒いて育ててみて、味の良い品種だけを増やしていったものです。

そうなんですか!ちとせむすびに入っていた古代米はとても美味しかったですよ。それと花の井さんの古代米のお酒も!香りが良く、不思議な味でした。

あぁ、あれは「千年祭」の記念に試しに作ってみたんです。(笑)

五所駒瀧神社では禰宜(ネギ:宮司を補佐する職の人)が「森コミいち委員会」や「桜川本物づくり委員会」に参加しており、「花の井」をつくっている西岡本店と協力して古代米のお酒を製造したそうです。

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ここの田んぼは普通の田んぼと違って、底が砂地で水はけがとても良いので、農薬を使っても意味がないんですよ。

というと・・・どういうことなんですか?

農薬を使おうと思ったら、最低でも3日は田んぼに水が張っていないと、薬の効き目が出ません。ここの田んぼは水がすぐ抜けちゃうから、撒いても効果がないんですよ。

なるほど!普通の田んぼって、ずっと水が張ってあって、水が静止していますよね。

そうです。ああいう田んぼじゃないと農薬は効かないんです。それと、やっぱり安全なお米を作りたいので、うちは農薬を使わないことにしているんです。

じゃ、どうやって雑草や害虫の駆除をしているんですか?

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それはこれです。(笑)

アヒル!

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田んぼに合鴨を放って米作りをするという話は聞いたことがありますが、アヒルは初めて聞きましたよ!

そうでしょうね。(笑)アヒルを使っているのはうちくらいじゃないですかね。アヒルは合鴨よりも働き者なんですよ。

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そうなんですか!

ええ。合鴨は目を離すと土手でひなたぼっこしたりして、全然働いてくれなかったりするんですが、アヒルは違います。

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あぁやって雑草を食べてくれますし、タニシやウンカのような害虫も食べてくれます。

なるほど、アヒルが田んぼを管理してくれるんですね。

そうです。だからうちは田んぼに農薬を撒かないんです。アヒルが死んじゃいますからね。それと、合鴨は時期が来ると殺して食べちゃうでしょう?うちは神社だから殺生するわけにいかないじゃないですか。(笑)それもあって合鴨ではなくアヒルを使っているんです!

なるほど。アヒルを使う利点は他にもあるんですか?

田んぼの泥をかき回してくれるので、雑草が生えにくくなりますし、稲の根っこの辺りをくちばしでつついて刺激してくれるので、稲の成長が良くなります。

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なるほど。農薬を使わなくても良いだけでなく、他にも良いことがいろいろあるんですね!

そうです。アヒルを田んぼに放していると、合鴨の群れがやってきて、仲良く一緒に働くこともあります。で、夕方になって合鴨が立ち去ろうとすると、アヒルの群れがそれをじっと見守っているんです。そういう光景を見ていると心がとても和みますよ。(笑)

へぇ~っ。それはいいですね!でも、ああやって放しておいて逃げたりしないんですか?

逃げないですね。でも、時々川におっこっちゃうやつがいて、川下の方から電話がかかって来るんですよ。「なんだか白いのが流れてきたけど、神社のじゃねえのけ?」ってね。(笑)

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うちは鶏も放し飼いなんです。

「平飼い」というやつですか?

というか・・・完全放置というか・・・放し飼いですね。(笑)アヒルも鶏も夕方になって呼ぶとちゃんと帰ってくるから大丈夫なんです。

そうなんですか!どの鶏も元気がいいですよね。

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ええ。余った野菜を与えているんですが、あぁやって地面をつついて、腐葉土を食べるのがとても良いんですよ。元気な卵が生まれます。

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産みたての卵、よかったらどうぞ。

えぇっ、いいんですか?いただきます。おぉっ、あったか~い!

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というわけで、五所駒瀧神社は予想以上に素晴らしい神社で、僕らはすっかり夢中になってしまいました。(笑)

それと、宮司さんの話を聞くうちに、僕は子供の頃のことを思い出していました。

僕は水戸の郊外で生まれ育ったのですが、山こそなかったものの、子供の頃は畑と田んぼと森が豊富にありました。春になると田植えが行われ、夏になると田んぼの脇の川にはホタルが現れ、カエルの鳴き声や盆踊りの太鼓の音が聞こえ、食卓には近所の野原で採れた山菜や家の畑で採れた野菜、飼っていた鶏が産んだ卵などが並びました。うちで採れた野菜や漬物を配ったり、お葬式ができると手伝いに行ったり、隣近所とのお付き合いもあり、自然や四季の移ろいを身近に感じる牧歌的な環境でした。

今でもそういう要素は残っていますが、最近は都市化の波が郊外まで及んでいて、かつて森や畑、田んぼだったところはアパートや駐車場、スーパーなどに姿を変えつつあります。ある程度の開発は仕方がないと思いますが、安全な食料を確保し続けるためにも、これからの時代は自然と共生することがとても重要ですよね。

今回ここに来て、宮司さん夫婦からさまざまな話を聞き、こういう生き方もあるということを見れたのは、僕らにとってとても良いことでした。

茨城の本当の良さは、身近なところにまだ自然が残っていて、昔ながらの素朴で温かい交流があることだと思います。それは現代の都会的な尺度からすると、時代遅れで田舎じみたものに思えるかもしれませんが、本来、この国に住む人の多くは、自然の中で自然とともに生きる知恵を絞り、収穫の喜びを共に分かち合い、「農に基づく文化」を継承してきたんですよね。

僕らもいずれは自分で畑をつくりたいと思っています。かみさんは特にやる気満々なんですよ。(笑)

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さて「ちとせむすび」の味が忘れられなかった僕らは、帰り際に宮司さんに頼んで残っていたお米を分けてもらうことにしました。(笑)

うちはふたりともご飯が大好きなので、毎回1.5合~2合くらい炊いてペロッと食べちゃうんです。(笑)最近は米を食べない人が多いと聞くので、他所に比べると消費量は多い方でしょうが、理由は茨城のお米が美味しいからだと思います。特に東京生まれのかみさんは、茨城のお米の美味しさに感激しています。(笑)

これが五所駒瀧神社で分けてもらったお米です。玄米の状態ですが、ところどころ緑色の米(未熟米)が混じっているのがわかりますか。通常出回っているお米は加工されているので混じっているのを見たことがありませんが、お米屋さんに言わせると、未熟米が多少混じっているほうが米の旨みが増すそうです。

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こちらは精米後。ひとつぶひとつぶが、ふっくらと大きいのがわかります。

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これは炊きたての状態。う~ん、コレですよ、僕らを魅了した味は!この御神米を食べて感じたのは、昔の人の食事が一汁一菜だったのは、恐らく今よりも米が美味しく、栄養価が高かったからではないか、ということです。ひとつぶひとつぶの味わいが深く美味しいお米は、おかずがなくても十分満足できますし、漬物だけでもご飯がすすむからです。それと、焚き方も関係があるかもしれません。うちは電気釜を使わず、土鍋とガスで炊くのですが、その方がご飯が美味しく、食べた後の体調も良いように感じるんです。

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最後に、「一袋30kgあれば家族4人が1ヶ月生活していける主食は世界中を探しても米くらいである」という宮司さんの話がとても印象に残りました。そう言われてみると、確かにそうですよね!

今回は最後までお米の良さと有り難さを実感する旅となりました。五所駒瀧神社には今後もたびたび行くことになりそうです。田植えが楽しみだなぁ!

五所駒瀧神社
〒300-4406 茨城県桜川市真壁町山尾503

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