茨城の地酒・日本酒のすすめ(2)日本酒はどれも似たりよったりで不味い?

日本酒はどれも似たりよったり?

「日本酒なんてどれ飲んでも同じ。ビールに飽きたら飲むもので、味なんていちいち気にするほどのものじゃない。」

そう思われる方は、おそらく質の良くない日本酒で悪酔いした経験をお持ちなんだろうと思います。僕も学生時代に先輩や友人に連れられて、コンパや宴会などで質の良くない日本酒をしこたま飲み、悪酔いしてひどい思いをしたことが何度もあるのでよくわかります。(笑)

恐らく日本酒が好きではない方の中には、日本酒のアルコール臭さ、喉にピリピリくる刺激、甘ったるくて口の中がベトつく感じ、3~4合も飲むと頭がガンガンしたり胸がムカムカして気持ち悪くなるような酔い方が嫌だという方が結構いらっしゃるのではないかと思います。

昔に比べれば質が良くなったとはいえ、確かにそういう日本酒もまだあります。でも、日本酒にはさっぱりとした飲み口で喉ごしもよく、フルーティーな香りがして、酔い心地や酔い覚めの良いものもあるんですよ。同じ「日本酒」なのに何が違うのでしょうか。また、なぜ質の違うものが「日本酒」として存在しているのでしょうか。恐らくそれが日本酒について最初に抱える疑問なのではないか、と思います。

僕も10代までは日本酒といえば、アルコール臭くて甘ったるく、たくさん飲むと悪酔いして気持ち悪くなる酒だと思っていました。その考えが変わったのは、大学に進学してしばらく経ち正月に実家に帰省した際に親父が飲ませてくれた日本酒に出会った時です。

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久しぶりに顔を合わせた息子のために、大事にとっておいた日本酒を持ちだしてきたのですが、それは茨城の蔵元がつくった限定生産の日本酒で、予約購入のみの特別なものでした。友部に住む父親の友人が取り寄せてくれたそうですが、銘柄は「郷乃譽」だったそうです。その当時は日本酒について何も知らなかったのですが、「郷乃譽」は全国的に有名な茨城の日本酒で、お酒が好きな人の間では評価が高く、最近はヨーロッパにも輸出されて高く評価されています。

その酒を大事に少しずつ注ぐ父の姿と、口に含んだ時のことは今でもはっきり覚えています。

「こんなに上品で、良い香りが漂い、飲みやすく、美味しい日本酒もあるのか!」

アルコール臭が全くないだけでなく、果物のようなかぐわしい香りが漂い、喉越しもすっきりとしていて、上品で程よい自然な甘さがありました。正月だったせいもあるかもしれませんが、おちょこに1~2杯飲むと、大自然や穀物から祝福を受けているような、なんともいえない心地よさがあり、「この酒ならずっと飲んでも良いなぁ」と思えました。あまりの素晴らしさに意識がはっと冴え渡り、視界が急に開けるような感じでした。

同じように感動を覚えていた父に尋ねると、こんな話をしてくれました。

なぜ不味い日本酒が存在するのか

酒が好きで日本酒もよく飲む父によれば、日本酒は戦中と戦後を通じて質が低下していたが、最近それが見直され、良い酒がつくられるようになったということでした。どういうことなのか、もうちょっと詳しく説明すると第二次世界戦前までの日本酒は米と米麹だけでつくられていましたが、戦中・戦後を通じて水とアルコールでのばすようになったのだそうです。最初は信じられませんでしたが、1升の日本酒を3倍に薄めれば、質は悪くとも3升の日本酒ができるということで、そうするようになったそうです。

そういう酒は「三増酒」と呼ばれ、国の政策としてつくり始められ、奨励されたそうですが、水で薄めてアルコールを加えただけだと辛くて飲みづらいものができあがるので、「甘味」をつけるためにブドウ糖や水あめ、「旨味」をつけるために味の素、「酸味」をつけるために合成乳酸やこはく酸といったものを加えて味を整えるようになったとか。

ずいぶん思い切ったことをしたものですが、その背景には戦中・戦後の食料難があったそうです。つまり、米をはじめとした食料が著しく不足した時期に、清酒に回す米がなくなったことから、やむなくそうせざるを得なかったということでした。食べ物が豊富で「飽食」とも言われる今の時代からは想像もつきませんが、戦時中や戦後間もない時期は食料がひどく不足して、配給される食料も十分でなかったため、「闇物資」とか「闇米」といったものが出回っていた時代です。伝正寺温泉桜井館のご主人の話にもありましたが、特に東京などの都市部では「闇物資」や「闇米」が飛ぶように売れ、人々は飢えをしのいだそうです。(「ヤミ米」の買い出し風景は、つげ義春氏の「隣の女」に描かれているので、興味のある方は読まれたら良いと思います。)

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食料としての米が不足している時に嗜好品である酒をつくる余裕はありません。でも酒を欲しがっている人が大勢いて、圧倒的に供給が追いつかなくなると、食料品だけでなくお酒にも非合法の「闇酒」が出回るようになります。そういった「闇酒」の多くは質が悪く、有害な原材料からつくられていたため健康を害する人も多く、当時は社会問題になったようですが、国にとっても「財源」という点で大きな問題となりました。酒造は徴税手段のひとつとして国家から保護され、「酒税法」という法律によって生産や販売が規制されてきた特殊な業態です。国は酒を通して税金を徴収しますが、「闇酒」が出回ると税金を徴収できなくなるため、酒不足の解消と闇酒対策として政府が採用し、奨励したのが「三増酒」だったというわけです。

その辺りの事情について説明した本の中には、「国家権力が三増酒づくりを命令し、それと結託した大手酒造メーカーによる金儲け主義が日本の酒づくりの伝統と技を堕落させた」といった批判があからさまに書かれたものもあります。確かにそれによって日本酒の質が著しく低下し、主に大手酒造元の懐が潤ったのも事実でしょう。でも、終戦直後の一時期だけを取り上げると、一概に「三増酒」を否定できないようにも思えます。というのも、日本酒は軍にも供給されていて日本酒人口と消費量は今よりもはるかに多く、各地の酒造元は原材料や設備、杜氏などの人材不足といった困難を抱え、焼け野原となった日本中の町には、敗戦と貧困の辛さを紛らわせるために日本酒を求める大勢の人々がいたからです。地方の小さな酒造元を訪れると、「あの時代は、大手だけでなくどこの蔵でも多かれ少なかれそういう粗悪な日本酒をつくらざるを得なかった」という話を聞くこともあります。ですから、当初の意図は決して悪いものばかりではなかったと思えるのです。

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ただ、日本酒にとって不幸だったのは、終戦から何年も経って米不足が解消した後も三増酒がつくり続けられたことでしょう。これは制度整備の遅れなどで酒造米の配給制が続いたせいで酒造元が酒造米を自由に購入できず、三増酒は低コストで大量生産でき、需要に素早く対応できたためだったようです。どちらかというと、日本酒好きの間で非難の論拠となっているのはその辺りの事情のようですが、要は酒不足を解消するために採用されたはずの一時的な解決策(三増酒)が「質をないがしろにして手っ取り早く酒をつくって税金を集めるための道具として使い続けられた」ということです。

日本酒にとって不幸な時代が長く続いたのは、国や酒蔵メーカーに大きな原因があるのは確かですが、それ以外に消費者の側にも責任の一端があるのではないかと思います。というのも、酒は嗜好品なので質が悪くて嫌ならば不買運動を起こすまではいかずとも、買って飲まなければ良いわけですから。(実際、それによってウィスキーやビール、ワインを飲む人口が増え、パン食や食事の西洋化によって、日本酒離れが進んだという話も聞きます。)また、日本酒を飲む人々の多くが酒の味に無頓着で、米と米麹だけの「純米酒」をつくっても関心を持たなかったという話も聞きます。そして、酒造設備が今ほど進歩していなかったせいで「純米酒」の質が今ほど安定していなかったという話も聞きます。多分、どちらも本当なのでしょう。

それと、これは酒造りとは直接関係ないことですが、「情報の流通」も大きく関係していますよね。今でこそインターネットが普及していて、パソコンや携帯などで簡単に情報を発信したり、検索できる世の中ですが、つい数十年前まではテレビ、新聞、雑誌、ラジオといった「マスメディア」が流す情報か直接の口コミしかありませんでした。そうなると資金力のある大手メーカーの情報しかメディアでは流通せず、地方にある知名度の低い小規模メーカーなどは口コミや紹介などに頼るしかなかったわけです。モノの消費には情報が大きく関係しますから、マスメディアで紹介された商品しか量販店や小売店に並んでいなければ、一般の消費者はそれを購入するしかなく、地方の小規模メーカーの商品は「お土産物」として現地で購入するか、口コミの紹介によって取り寄せるしかなかったわけです。まぁ、現在でも多かれ少なかれ似たような状況が続いていますが、昔は今みたいにネットのショップや通販サイトなどで簡単に取り寄せられる状況ではなかったので、個人が情報と商品を手に入れるのは大変だったわけです。

さまざまな要素が関係していますが、一部の熱心な層を除いて、酒飲みの大半が日本酒の質に関心を持たなかったため、三増酒が長い間つくられ続けたというのは事実です。これについてはなんとなく覚えがあります。子供の頃のことですが、酒好きの祖父は毎晩のように日本酒や焼酎で晩酌していました。祖父は大正生まれで戦中戦後を生きた、まさに三増酒世代です。右が若い頃の祖父です。恐らく酔っ払って友だちとふざけている時に撮ったものでしょうが、とにかく酒が好きでよく飲み、酔うと昔の話をしてくれました。

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祖父は水戸の貧しい小作人の次男として生まれ、戦前・戦中は満州へ渡って鉄道会社(満鉄)の技師として働き、終戦後は水戸に戻り、炭焼きなどもやっていたそうです。

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戦後引き上げてからは、農地解放で土地を手に入れて開墾し、納屋の隣に仮の住まいをつくって必死で働いたそうです。酒は貴重な贅沢品で、飲みたくても飲めないことも多かったため、なんとか酒を手に入れようと芋を大量に買ってきて焼酎をつくったこともあったとか。これも「闇酒」ですが、今売られているような上等なものでなくても「カストリ」や「バクダン」のような粗悪品よりも安全で上等だったため、飛ぶように売れたそうです。ただし、すぐに警察の目に止まることとなり、家までやってきた巡査に「気持ちはわかるが頼むからやめてくれ」と説得されて中止となったとか。酒を飲みながら「巡査に頭を下げられたら続けるわけにはいかなかった」と、当時を振り返り、懐かし気に話していた祖父の顔を覚えています。

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(カストリ:戦後の一時期出回った原料・出所不明の粗悪な密造焼酎。人体に有害な原料でつくられたため危険だった。)
(バクダン:戦後の一時期出回った粗悪な密造焼酎。航空機などの燃料用アルコールを活性炭で脱色し、水で薄めたもの。失明や中毒死の危険があった。)

そういう世代の人々にとって、「三増酒」が合法で有り難い酒だったというのはうなずけます。祖父はよく燗にして飲んでいましたが、興味があったので一度試しに口に含んでみると、ツ~ンと薬品臭さが漂い、喉に焼けるようなピリピリとした刺激があり、口の中に甘ったるくベタベタした感じが広がりました。そんなものを毎日のように飲んでいる祖父が信じられず、「ひどい味だなぁ」と言うと、「お前にはこの味はまだわからないだろう」というようなことを言われました。その時は「三増酒」という言葉も知りませんでしたし、祖父の言うとおりなんだろうと考えましたが、僕にはその良さが全くわかりませんでしたし、その後酒を飲む年齢になってもわかりませんでした。祖父が飲んでいた酒を本当はどう思っていたのか、今となっては知ることができませんが、多分、祖父にとっては酒とは酔うためのものであり、味や質は問題ではなかったのではないかと思います。それと、酒に不自由した時代が長かったため、酒の味や質につべこべ言うのは贅沢に思えたのかもしれません。多分そうだったんだろうと思います。銘柄や製造元にはこだわらず、紙パックやカップ入りなど値段の安いものを中心に飲んでいましたが、燗にすることが多かったのは、アルコール臭さと甘ったるさを和らげる目的もあったのかもしれません。

まぁ、どの酒を飲もうと個人の自由ですが、恐ろしいのは、人間は慣れることができ、馴染んだものからは離れ難くなるということです。酒を飲みたくても他に選択肢がなければ、質が悪く不味いと思う酒でも我慢して飲まなければならなくなりますし、飲み続けていればやがて慣れていきます。そうすると味覚も曖昧になっていき、味や質にはこだわらなくなり・・・。酒は嗜好品なので、美味い不味い、質の良し悪しを判断するのは個人の自由ですし、そういうことについてとやかく言うのは確かに贅沢です。

ただ、「どれを飲んでも同じような味しかせず、質も似たりよったりなら、できるだけ安く酔える方がいい」というのと、「酒には色々あり、味も質も値段も異なるから、できるだけ質がよくて自分に合ったものを、できるだけ安く手に入れて楽しもう」というのでは、アプローチの仕方がかなり異なります。

良心的な生産者が質の良い日本酒をつくったとしても、前者と後者とでは反応の仕方が異なるでしょうね。三増酒が長い間つくられ続けた理由のひとつは、日本酒の味や質に関心のない人が多かったからではないかと思います。ちなみに、もっと下の世代である、うちのかみさんの父親は、食べ物の味には相当うるさく、銀座や浅草の高級鮨屋に毎週出かけるような人でしたが、日本酒の味や質には全く無頓着で三増酒を飲んでいたそうです。

日本酒の味と質は最近良くなった

さて、高度成長期以降に生まれた僕の場合は祖父とはだいぶ事情が異なってきます。子供の頃から食べるものは豊富にあり、日本酒が好きでなければ、ビールやワインなど代わりのものがいくらでもありました。僕は食べものに好き嫌いはない方で、洋食も和食もどちらも好きですが、無知と無教養がたたって、日本酒に対してはマイナスのイメージしか持たず、日本酒はどれも似たようなもので洋酒のほうが上等だと思い込んでいました。無知と偏見(思い込み)というものは恐ろしいものです。さて、そういう僕の目を覚まさせ、日本酒に対する間違った認識を一変させたのが、正月に飲んだ例の日本酒だったというわけです。その頃はちょうど日本酒を分類する制度が変わりつつあり、日本酒の質が変わる過渡期だったようです。

現在40代以上の方は覚えていらっしゃると思いますが、かつて日本酒には「日本酒級別制度」と呼ばれる酒税法上の分類がありました。これは1940年(昭和15年)から1992年(平成4年)まで続いた制度で、日本酒をアルコール度数と酒質などから6段階に分類するものでした。僕が子供の頃売られていた酒瓶には、この制度によって分類されたラベルが貼られていて、「これは特級酒だから高かった」とか「二級酒だから安くて不味い」などと大人が話していたのを覚えています。さて、この制度には酒の品質鑑定と分類の仕方に問題が多々あり、等級が高い酒ほど高い税率を課されたので、品質が特級や一級であっても審査を申請せずに「二級酒」として販売する業者が増加し、消費者や製造元からの批判が高まった結果、別の制度に変更となったのだそうです。値段と品質が必ずしも一致していないわけですから、飲む方にしてみたらたまりませんよね。当時ラベルだけで酒の味や質を吟味することがいかにあてにならなかったかよくわかるエピソードですが、それも酒の味に無関心な人が増えた理由なのかもしれません。

さて、それまで6段階に分類されていた日本酒は、1992年以降、原材料と製法の違いによって、

  • 純米大吟醸酒
    大吟醸酒
    純米吟醸酒
    吟醸酒
    特別純米酒
    純米酒
    特別本醸造酒
    本醸造酒
  • 普通酒

に分類されることになりました。

現在販売されている日本酒はこの分類法に基づきます。内容の解説は次回にするとして、日本酒の分類が明確になったということと、酒税法の改正により三増酒がつくられなくなったということは素晴らしいことであり、まさに快挙です!この時期は日本酒にとって非常に重要で画期的だったわけですが、僕の周りでそのことを話題する人はおらず、無関心だった僕も何も知らずに飲んでいました。そんなややこしくて面倒くさいことを知らなくても、美味しい日本酒が飲めて気持よく酔えればそれでよかったからですが、味に関して言えば、親父に飲ませてもらった日本酒やその後に飲んだ日本酒によって「何かが大きく変わった」と感じていました。相変わらず「甘くてベタベタして嫌な匂いがして気持ちが悪くなる」日本酒にも出くわしましたが、そうでないものに出会える機会も増えたからです。

その頃の世はバブル景気で、日本酒は「端麗辛口」「吟醸酒」がブームでした。酒といえば淡麗辛口で、新潟の「越乃寒梅」のような水のようにサラッとした日本酒やワインのような香りの漂う日本酒が人気。大阪の友人の家に遊びに行ったら、そこのお姉さんが「越乃寒梅やっと手に入れたのよ!やっぱり美味しいわ~!」と喜んでいたのが思い出されます。日本酒の辛口ブームに押されたせいでしょうが、ビールの「スーパードライ」が売りだされたのもその頃だったと思います。

(端麗辛口:口当たりがさっぱりとしていて癖がないこと。)
(吟醸酒:高度に精白された原料米を低温で発酵させた高級日本酒。ワインを思わせるフルーティな香りが特徴。)

さて、そういった淡麗辛口の酒や吟醸酒は、三増酒が主流の世の中で、地方にある一部の良心的な小さな酒造元から生まれた「地酒」と呼ばれるもので、その土地の水とその土地で採れた米を使い、伝統的な技法を用いてつくられたため、添加物まみれの三増酒とは同じ「日本酒」でも全く質の異なるものでした。それが日本酒の質の見直しを求める消費者によって歓迎され、雑誌などのメディアの影響もあり全国的なブームとなったのですが、その背景には平均的な生活水準の向上に伴う、消費者の美食や健康志向も関係したのは確かです。単に酔えればいい日本酒から味わいと香りを楽しむ日本酒の時代となり、「日本酒の長い戦後がやっと終わりを告げた」と言えるでしょう。詳しく知りたい方は、モーニングに連載され、後にドラマ化された尾瀬あきら氏の「夏子の酒」をご覧になるといいでしょう。

僕は学生時代を「宮水」や「灘の生一本」で有名な兵庫県西宮市と神戸市で過ごしたのですが、大学の近くの阿留酎(あるちゅうと読む)という地酒を置く居酒屋で、日本酒好きな友人と飲み会を開いて地酒の飲み比べをしたり、土佐出身の同級生の下宿で「司牡丹」の超辛口を飲んだりしました。辛口の日本酒の「水のようにさらっとさっぱりした飲み口」は、三増酒に辟易していた人にとって最初は新鮮でした。ずいぶん飲みましたが、そればかりだとやがて飽きてきます。怠け者だった僕はそれ以上日本酒の味を追求することはせず、その後はもっぱらビールとワインを飲むようになりました。振り返ると、その時日本酒から離れていったのは、若かったので日本酒の良さが十分に理解できなかったというのもありますが、それよりも日本酒に関する知識が乏しかったため、原材料や製法による違いといった基本的な事柄すらよくわかっていなかったからだと思います。最近日本酒の良さがわかるようになり、そのことを実感しています。そろそろ日本酒について学ぶのは良さそうです。

かつての「吟醸酒」「端麗辛口」ブームの頃、僕のように日本酒の味に目覚めた人も多いと思います。ただ、ブームが一段落した現在、日本酒全体の消費量が落ち込んでいて日本酒を飲まない人も多いという話を聞くと、消費者の酒の嗜好の多様化ということもあるのかもしれませんが、それ以上に日本酒に関する情報が複雑で知られていないからではないかと思えます。最近の日本酒は「吟醸酒」「端麗辛口」だけでなく、味と香りにバラエティーがあり、安くても質が格段に良い物が増えているからです。その分日本酒を選ぶ際の選択肢が昔よりも多いので、知識がないと酒を選んだり判断することが難しくなっているように感じます。僕自身がそうなので、恐らく同じ理由で日本酒から遠ざかっている方はいらっしゃるのではないでしょうか。

最近はちょっと気の利いた酒屋に行けば日本全国の酒蔵のお酒も比較的簡単に手に入り、店によっては日本酒に詳しいソムリエが説明してくれます。昔は考えられなかったことですし、日本酒を楽しむには良い時代になったのだと思います。ですから、ほんのちょっと調べれば、自分の好みに合った美味しい日本酒に出会える可能性が高いと言えます。酒造元に行って直接お話しを伺うのもいいでしょうね。茨城には素晴らしい酒蔵があちこちにあり、良質の日本酒がつくられています。茨城に住んでいるなら、茨城に来たなら、茨城の酒造でつくられた、茨城の地酒を飲もうじゃありませんか!この記事がその一助となれば幸いです。

酒造りや酒の味について解説している良い書籍が出ているので、詳しく知りたい方は読まれたらいいと思います。

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