こんにちは!
寒さも若干和らいできましたが、風がまだまだ冷たいですよね。
忙しさにかまけていたら、またしても更新が遅れてしまいましたが、
水戸の2月と言えば、「梅まつり」の季節です。
毎年この季節になると水戸の街は賑やかになりますが、
地元民の悪い癖で、あまり注意を払っていませんでした。
昨年は見事に見逃して後で後悔するはめになったので、
「今年こそは」と行事予定などをチェックしていたんです。(笑)
さて、そういうわけで梅まつりについて書こうと思います。
ご存知のない方のために、まず偕楽園と梅について。
水戸というと「水戸黄門」のイメージが強いため、
偕楽園は光圀公がつくったと思う人もいるかもしれません。
でも光圀公の時代(1628~1700)には偕楽園はまだなく、
創設したのは9代藩主、斉昭公(1800~1860)だったんです。
斉昭公が偕楽園の構想を思い付いたのは、天保4年(1833年)34歳の時。
生まれ育った江戸を離れ、初めて水戸に戻って藩内を巡り、
南に千波湖と緑が岡をのぞみ、筑波山や大洗の海を遠望できる
高台を景勝地として切り開き、庭園を設けることに決めました。
その構想とは弘道館で日夜文武に励む藩士に休養の場を提供し、
領民と「偕(とも)に楽しむ場」にしたいというもの。
(弘道館は日本最大の藩校。偕楽園と一対の施設として1841年に開設。
偕楽園の造園工事は1841年から始められ、翌年開園。)
この庭園は斉昭公によって「偕楽園」と名づけられ、江戸時代には
毎月「三」と「八」が付く日は領民にも開放されていました。
園内には斉昭公の別邸もつくられ、梅の異名である「好文木」から
名前が付けられ「好文亭」と呼ばれるようになりました。
文人墨客や家臣、領内の老人たちが招かれ、詩歌や養老の会などが開かれたそうです。
自分や特権階級だけの観賞用「庭園」ではなく、庶民にも開放する「公園」
としてつくったという点が非常に興味深く、斉昭公の粋なところですよね。(笑)
さて、弘道館と偕楽園にはたくさんの梅の木が植えられており、
偕楽園本園だけでも現在100種類3000本が確認されていますが、
これは斉昭公が梅を好んだことに由来します。
彼が詠んだ漢詩が残されています。
[note]弘道館に梅花を賞す
弘道館中千樹梅
清香馥郁十文開
好文豈謂無威武
雪裡占春天下魁[/note]
[note]訳)弘道館の中にはたくさんの梅の木がある。
今その花は枝を覆いつくし、清らかな香りを漂わせている。
梅を「好文木」と呼ぶのは、「学問を好むと梅の花が開き、学問をやめると咲かなくなった」という故事に由来するというが、梅には「文」だけでなく「武」の力も備わっている。
雪の降り積もる厳しい寒さの中でも梅は独り身を起こし、他の草花に先駆けて真っ先に咲き乱れ、春の到来を知らせるではないか。[/note]
また、観賞だけでなく、戦時の副食として実が役立つという梅の効用も
気に入っていた理由のようです。(弘道館公園内「種梅記碑」)
どうでしょうか。
偕楽園について関心を深めていただければ幸いです。
偕楽園はもともと「偕(とも)に楽しむ場」としてつくられた公園であり、
今年の「梅まつり」も様々なイベントが予定されているようです。
2月20日(金)の梅まつり開幕日には行かなかったのですが、
前日(19日)に園内を偵察してきたので、まずそれをご覧に入れましょう。
御成門からこっそり忍び込みます。(笑)
今日は平日のせいか、さすがに人影もまばらですね。
梅のつぼみもこれからという感じ。
虎の尾は「水戸の6名木」のひとつですが、これからですね。
さぁ、どうしようか・・・
おや、あれは・・・「冬至」という種類なんですね。
まだ満開ではありませんが、開花していますよ。きれいですね!
こっちは・・・月宮殿。なかなかしゃれた名前ですね。
よく見ると、あちこちでピンク色の花が開花しています。
「八重寒紅」というんですね。
これは東門の近くで咲いていた八重寒紅。花は光線の当たり加減で印象が変わりますよね。
かなり昔、親に「梅まつり」に連れられてきた覚えはありますが、
あまり記憶に残っていないのは、子供だったからなんでしょうね。
これは八重冬至。さわやかな白さが印象的。
この日は3000本のうち208本(7%)が開花したようです。
さて、園内を散策していると、何かが見えてきました。
あれは・・・?
ステージですね!
どうやらこういうことのようです。面白そうなので21日に来てみようと思います。
今日の水戸は最高の天気です。21日も晴れたらいいな!